岩崎 聖侍(いわさき せいじ、本名:岩崎 聖二、男性)は、日本の起業家。株式会社FreeLifeコンサルティング代表取締役アホ社長。本氣のストーリープロデューサー。血液型A型。身長179cm、体重73kg。カレーが大好物。
・東京都世田谷区に生まれる。
・1989年(平成元年)−世田谷区立深沢小学校を卒業。
・1992年(平成4年)−世田谷区立深沢中学校を卒業。
・1992年(平成4年)−私立国学院久我山高校に入学。高校ではラグビー部に所属。
・1994年(平成6年)−愛知県で行われた「わかしゃち国体」で、ラグビーの東京代表として出場し、全国優勝。
・1995年(平成7年)−第74回全国高校ラグビー大会(いわゆる花園)で、準決勝で相模台工業に敗北し、3位。
・1995年(平成7年)−私立国学院久我山高校を卒業。
・1995年(平成7年)−亜細亜大学法学部法律学科に入学。大学でもラグビー部に所属。
・1999年(平成11年)−亜細亜大学法学部法律学科を卒業。
・2001年(平成13年)−東京地方裁判所に、裁判所事務官として任官。
・2004年(平成16年)−東京簡易裁判所に、裁判所書記官として任官。
・2006年(平成18年)−裁判所書記官を退官。裁判所を辞める。
・2006年(平成18年)−株式会社FreeLifeコンサルティングを設立。代表取締役社長に。
小学校時代
ずっと野球をやっていたが、いつも決勝で上馬北パワーズというチームに敗れ、全国大会へは一度も行けなかった。
中2まで野球をやっていたが、頭のサイズが大きく、普通のヘルメットでは入らないのに嫌気がさして、野球をやめた。
本人は、バイクのヘルメットも通常のモノでは入らないので、バイクには絶対乗らないと言っている。頭の大きさでは、世界トップクラスと自負している。
何か新しいスポーツに挑戦しようと思い、ラグビーを始める。しかし、所属した高校が全国優勝を狙うほどの強豪で、毎日のキツイ練習と先輩からのシゴキで、何度も自殺を考える。
しかし、仲間と助け合い、なんとか3年間やり過ごす。
本人は、「人生で、高校時代のラグビー部以上に辛いことは、もうないと思う。だから、今後どんなことが起きても、たぶん大丈夫だよ(笑)」と語っている。
高校時代、カナダにラグビー遠征に行く。カナダのバンクーバーの街を歩いていたら、急に便意をもよおしてトイレを探す。「Where is トイレ?」と、そこら中のカナダ人に聞くも、みな苦笑いした。海外ではトイレのことをレストルームやトイレットと言うので、トイレではまったく通じなかったらしい。
しかし、お通じのほうは通りまくりで、カナダの三ツ星ホテル「バンクーバーホテル」でウ○コをもらしてしまう。肉ばっかり食べていたので、すごく便秘だったらしく、出始めたらまったく止まらなかった。
高校時代に、骨折2回、じん帯損傷4回、左耳が半分に切れ30針を縫うケガなどをしている。
またスクラムの組みすぎで、耳はギョウザになった(耳の内部から出血し、そのまま血が固まり、耳が餃子のように固くなる症状。柔道家に多い。)
昔から法律に興味があったので、法学部に行くが、ほとんど講義には出席しなかった。
家がド貧乏だったので、ありとあらゆるバイトを経験。
「大学時代は、ラグビーとバイトと飲み会の三つしかしていなかった。ラグビーとバイトと飲み会、部屋とYシャツと私、恋しさとせつなさと心強さと。もっと勉強しておけば良かった。」と語っている。
大学を卒業する直前に、父がガンで亡くなる。父はいろいろな事業を試みたそうだが、どれもうまくいかず、家は火の車であった。今でも、父の借金を返している。
大学卒業の直前までラグビーをやっており、あまり就職を考えていなかった。自分でビジネスをやることも考えていたが、父が借金を残して亡くなったことが、かなり堪えたらしく、安定している公務員を目指すことにする。
高校・大学とラグビーばっかりしていて、自分の名前も漢字で書けないほどバカだったらしい。
なので、公務員試験のときは、必死に勉強した。試験直前は、家から一歩も出ず、一日14時間以上勉強していた。そのせいで、試験会場に行くときに、歩き方を忘れていることに気がつき、変な歩き方で会場まで向かった。
当時付き合っていた彼女と、公務員試験に合格したら、結婚しようと思っていたが、試験に合格して、プロポーズをしたらフラれた。その後、5年以上この恋を引きずっていた。
本人は、「僕がすべて悪い。彼女には、本当にとてつもなくヒドいことをした。償いたかったが、もう何もできない。一生僕の心に残る傷だ。」と語っている。
裁判所職員時代は、本当に楽しかったと語っている。仕事もプライベートも充実していたが、いつも「僕はこのままでいいのか?」という思いが心の隅にあった。
30歳を前に、このまま裁判所でがんばっていくか、独立するかで悩んでいたときに、フィリップ・ベニエーの
「偉大な力を身に付けるまで、出発を引き延ばすな。
動かないことはあなたをさらに弱めるからである。
明確に見えるようになるまで、始めることを引き延ばすな。
光に向かって歩まなければならないからである。
この第一歩をとる力があるか。
必要性一目瞭然のこの小さな行いを実行する勇気はあるか。
その第一歩をとり、その行いを実行せよ。
その努力を達成することで、あなたの力は尽きることなく、
倍増されることに驚くことだろう。
そして、次に実行すべきことは、明確に見えるようになるのである。」
という言葉に触れ、退職を決意する。
結婚の許可を取るために、奥さんの実家に行ったときは、公務員ということで、なんとかOKをもらった。しかし、結婚して一緒に暮らし始めるときには公務員を辞めて無職になっており、このことをなかなか奥さんのご両親に報告できなかった。
独立から2年たったとき、会社も安定してきたので、もう大丈夫だろと思い報告を決意。奥さんの実家で食事をしているときに、公務員を辞めたことを報告したら、奥さんの家族全員が凍りついた。
・読書が趣味で、1か月に20冊以上の本を読む。
・また映画も好きで、泣ける映画を研究している。
・テニスやスキー・スノーボードなどもやるが、最近は忙しくてあまりやっていないらしい。
・レッドホットチリペッパーやクロマニヨンズのファンである。夏フェスなどにも行ったりしている。
・また、絢香のファンである。歌はもちろん、生き方を尊敬している。
・プロジェクトXや情熱大陸、プロフェッショナルなどのドキュメンタリー番組が大好きで、ほとんど欠かさず見ている。
・現在でも合コンに出かけ、どうやったら若い人を楽しませられるかを調べている。つまるところ、若い女の子とお話がしたいらしい。
・つうか というかの変形。地元である桜新町の友人は、みんな使う。
・〜専 ○○専門の略。もともとは、○○を好む人を、○○専と呼んでいたが、今では何でも○○専と呼ぶ。「ちょっと、トレイ行ってくる。」→「ちょっと、トイレ専」など。
・マビで? マジでの変形系。本当に?の意味。「本気と書いて、マビ」は、うざったいくらいよく言う。
・限界灘 限界の意味。限界と玄界灘(日本海の西端の海域。世界有数の漁場。)をかけているだけ。「腕立て10回が限界?」→「腕立て10回が限界灘?」
・若干名 若干の意味。「ここのデザイン、若干弱いよね?」→「ここのデザイン、若干名弱いよね?」「何名ぐらいですか?」「2〜3名かな」
・OK墨汁 「OK牧場」の変形系。
・厳しめサバ? 厳しい?の意味。"厳しい"と、"しめサバ"が合体しちゃった。「今月中にやるの厳しめサバ?」
・Yes, I love. 「Yes」の最上級系。"はい"と同時に、"あなたのことを愛していますよ"ということも伝える、奇跡の言葉。「この本って、読んだほうがいいですか? Yes, I love.(イエス アイ ラッブッ)」
・イケソウダラ 「これいけそう?」という時に「これいけそうだら?」という。スケソウダラとかけている模様。
お父さんは、昔、俳優だった。吉永小百合さんと共演したことがあるらしい。
小学生の頃、お父さんが「この機械があれば、ゴキブリは絶滅するんだ!これは、売れるぞ〜〜」と言って、自慢そうにゴキブリ退治の機械を見せてくれた。
しかし岩崎は、この機械を何個も置いていた自宅から、たびたびゴキブリを目撃して、小学生ながら「この機械は売れないな・・・」と思っていた。
実際、まったく売れなかった。
高校生の頃、お父さんが「これからは健康ビジネスが来る! よし、青汁だ!!」と言って、青汁を売る仕事を始めた。
しかし、家の冷凍庫に保管してある青汁がまったく減らないので、「これもダメだな・・・」とすぐに悟った。
実際、すぐに青汁の仕事はやめた。その青汁は、岩崎が飲んだらしい。
大学生の頃、お父さんが「香港に金を堀りに行く!」と行って出かけ、数か月家に帰ってこなかった。
もちろん、今回もダメだと思っていたが、半年くらいたった後、父からジュラルミンケースのカバンが、家に送られてきた。岩崎の母と兄、しそて岩崎本人は、このジュラルミンケースを目の前にして、「金の延べ棒が入っているんだよ!」と興奮して、恐る恐るジュラルミンケースを開けた。
出てきたのは、ジュラルミンケースいっぱいのビーフジャーキーだった。
本人は「借金を残して亡くなった父を、恨んでいた時期もあったが、今は本当に誇りに思っている。ボッコボコになりながら、自分の夢を生き抜いた父がいたからこそ、今の私がある。」と語っている。
本当にラグビーバカだった岩崎は、公務員試験の過去問を、ひたすら丸暗記するという作戦で合格した。
国家公務員の試験は、毎年、真夏に開催されるが、クーラーがない試験会場と平等に行うため、全会場でクーラーを停止している(毎年、数名が気分が悪くなり、救急車で運ばれる)。
岩崎も、ひきこもって勉強していたため、暑さにめっぽう弱くなっており、気分が悪くなり試験中に7回もトイレに行った。目の前が真っ白になり、本当に救急車を呼んでもらおうと考えたが、今まで必死に勉強したことを思い出し、このまま死んでもいいから、問題を解こうと思った。
しかし、フラフラで、ほんとんど問題が解けず、試験時間が残り10分のところで、60%以上の問題が解けていなかった。そこで、残り10分で、問題すべてをテキトーにマークした(5択のマークシート試験)。
もちろん、本人は落ちたと思っていたが、実際は全国5万人の中で100位以内に入っており、合格発表の日に、いろいろな官庁から、「是非、うちに面接に来てくれ」という電話がかかってきた。
本人いわく、「最後まで絶対あきらめてはいけない、ということは、この体験があって本当に信じれるようになった。」と語っている。
自主制作映画をとったことがある。
2008年4月−TOKYO MXテレビ「PMクラブ(岩崎聖侍のことわ侍)」