雲井 るみ(1981年2月1日生まれ)は日本の女性、プログラマ、Webデザイナ、マンガ家(総称してWebクリエイターと名乗っている)で、本名は雲井 留美(くもい るみ)。
この「雲井るみ」は、まだ完結していない作品や終了していないモノに関する項目です。ある程度ストーリー・人格がまとまってから編集するようにしてください。
水戸商業高等学校情報処理科を卒業後、地元のソフト開発会社へ勤務。プログラマとして、COBOLやUNIX C、VBでの開発に携わる。
子供の頃から絵を描くのが好きで、知り合いにフリーペーパーの会社を立ち上げるから、デザイナをやらないかと誘われ、プログラマを続けるより絵を描いたりデザインに携わる仕事がしたいと決意して3年間勤めた会社に退職願を出す。
が、会社を辞めて3か月経っても、オーナーの資金不足により会社は立ち上がることなく、転職の話は頓挫する。
しかたないのでハローワークに通って次の仕事を探すが、地元で未経験OKのデザイナの仕事は見つからなかったため、知人に紹介されたソフト会社に面接に行き、プログラマの道を再度歩むことにする。
4年経ち、プログラマとしていろいろな経験を積んで設計の仕事もするようになってきたが残業三昧、悪化していく職場の人間関係などによるストレスで胃がキリキリいう毎日を送るようになった。
だんだんと胃が重くなり、食欲も減ってきたので少し時間が空いたときに内科へ行き、そこで「抑鬱症ですね」と診断される。精神安定の薬と胃薬をもらって会社に行き、社長に医師の診断結果を報告すると一ヶ月の休暇を取るように言われる。
一ヶ月の休みの間に、前から行ってみたかった小笠原と、友達からの海外に行っておいたほうがいいという勧めに従い、ヨーロッパ旅行に出かける。
小笠原にて初めてスノーケリングを体験し、その美しさに魅了され海の楽しさを知ってしまう。以後、スノーケリンググッズを購入して海に潜ること、また水中写真を撮ることが趣味になる。
小笠原から帰ってすぐに今度はドイツ・スイス・フランスの3国横断のツアーに参加する。
初めての海外だったが、予定の合う友達がいなかったので、ツアーには一人で参加した。
そのときのほかの参加客、それを聞いた友人達はみな、「行動力あるよね」と評した。
リフレッシュして仕事に戻るが、やはり仕事が詰まってくると胃が痛みだし、胃カメラを飲むことになる。
このとき、プログラマという仕事自体の性質が自分に合わないと感じて再度転職を考え、
プログラマの経験を活かしつつ、デザインにも携われるWebデザイナへと転職する。
絵を描くのが好き、デザインがしてみたい、という気持ちだけで正式にデザインを習ったことがなかったので、デザインは理論的に構築されるという事実に大きな壁を感じる。
プログラムは同じ結果さえ出せればいいが、デザインには答えなどなく、感じ方は人それぞれでそこに理由がなければ誰にも認めてもらえない。その問題に幾度となくぶつかり、何度も向いていないかも、と思って辞めようとしたが、ここを辞めてもほかにやりたいことが見つからないし・・・という思いと、会社の先輩に止められなんとかWebデザイナを続けていく。
ようやく、自分なりのデザイン理論が見えてきた頃、会社は経営難になり、給料が振り込まれず、社長とも連絡が取れないという状況になってしまう。
結果、会社都合で退社することになる。
地元茨城ではWebデザインの仕事が少なく、また当時つきあっていた彼氏が神奈川在住ということもあり、神奈川、東京でWebデザイナの仕事を探すことにした。
おもしろそうな会社だな、と目に止ったのがFreeLifeコンサルティングだった。
実際に面接に訪れてみると、ホームページを見て感じたままのおもしろそうな人たちが現われ、この会社で働いてみたい、という気持ちが強まった。その後、社長の岩崎聖侍から採用の知らせが届く。
プログラミング、Webデザインの経験と技術を活かしてホームページ制作にあたる。
入社後しばらくして、見た人がおもしろいと思える、感動できるホームページとは何か?という議論がよく社内で行われるようになる。
また、社員が楽しくなければ、お客さんも楽しくなれない、という考えから夢は何か、好きなことは何か、と問われることが多くなる。
絵を描くのが好きで、マンガ家になりたくてよくマンガを描いていた頃を思い出し、Flashマンガ「白骨ダディまさおさん」を描きはじめる。
また、草食男子のための婚活サイトで「うちの会社の草食男子。」も執筆中。
社長の岩崎聖侍の影響を受け、自分のやりたいこと、やるべきこと、『志』を考えるようになる。
そんなとき、思いつきで始めたBLゲーム制作を通して、夢を持っていて確かなスキルを持っているけどそれを仕事にできず会社員をやっている・・・というクリエイターさん達と出会う。
情熱とスキルを持っていても、オーディションで選ばれなかったというだけで夢を諦めてしまうのはもったいない。夢を叶える道は一つではないのではないか・・・?
そこで自分の『志』を確信した。
クリエイターさん達の夢を応援できる会社が創りたい
そう決意したとき、同棲していた彼氏にプロポーズされていたが、家庭を守りながら自分の夢は追えない、と悩んだ日々をすごしてプロポーズを断った(本人29歳のとき)。
30代手前にして、女の人生として間違ってるのではないか、とも思ったが、岩崎から
正しい道より、楽しい道を生きろ 楽な人生より、充実した人生を目指せ
という言葉を贈ってもらい、勇気をもらったと言っていた。
志を胸に秘め、決意をブログに書いたとたん、道が開けた。
決意に共感してくれた人からメッセージが届くようになり、追い風が吹くように背中を押され気がつけば自分ではできない分野に長けた仲間と次々と出会う。
自分の決意を胸に、FLCを退社し個人事業主となる。
FLCのメンバーがみんな「おめでとう」と言って拍手してくれたことに暖かい勇気をもらえたらしい。
2010年4月1日、『BLジャパン』という屋号で税務署に開業届を出す。
その後、会社としてBLジャパンを興す為に奔走する日々が始まる。
3人兄弟(兄二人)の末っ子として、茨城県那珂湊市で生まれる。
小学生までを茨城町で過ごし、中学生以降は水戸市に住んでいた。
物心ついたときから両親が不仲でケンカが絶えなかった為、母親が度々家を出るときに一緒に連れられて家を出ることが多かった。
中学生になるときには、両親が離婚し母親について水戸に移り住んだ。
戸籍は父親の籍のままだったため、実質母子家庭であったが、苗字が母親と異なった。
学校のプリントの保護者欄に書いた名前と、苗字が違うけど?と指摘されるたびに、その理由を話していた。
母親が昼夜問わず働いていたので、夜は一人でマンガを読んだりアニメを見たりして過ごすことが多くなる。ここからアニメヲタクの素が形成されたと言える。
もともと絵を描くのが好きだったので、好きなマンガやアニメのマネから始まり、自然とマンガを描くようになる。ただ、描くマンガは自分が主人公で異世界で勇者、というもろ『中二病』のマンガが多かった。
中学二年の家庭訪問のときに、母親から教師に「アニメばかり見てる」と告げ口され、教師から「アニメヲタク」とクラスメートの前で言われショックを受ける。また、この頃だんだん周りの友達がアニメを見なくなって話題が恋愛やオシャレの話になっていったこともあり、自分がアニメヲタクということを隠すようになっていった。
高校生になって、同じようにアニメ好きな友達と出会い、当時流行っていた「ツインシグナル」のBLコピー本を初めて製作する。その他、ぬ〜べ〜のグッズなどを作っていた。
が、友達や異性と遊ぶことに夢中になって段々同人活動から離れていく。
マンガ雑誌への投稿などもしていたが、パッとしない批評ばかりもらい、また家族からまったく理解してもらえず段々とあきらめの境地に入っていった。
高校3年になり、将来を考えたとき成績がよかった情報処理系の仕事(=プログラマ)に就こうと考え、就職の道を選んだ。
学校がロボットになって、教室が指令室になる、という展開にモロはまり、それ以来、秘密基地みたいな部屋が欲しい、と切望するきっかけを与えた作品。
もちろん、DVD-BOX購入済み。
ロボットのスポーツアニメなのに、そこに宿る魂は本物だ、と打ち震えた作品。
ロボットだからこそ、より人間臭い心情が描かれており、熱いアニメだぜ!!と思っている
『アイアンリーガー〜限りなき使命〜』は本人のテーマ曲であり(本人談)、カラオケでよく歌っている。
シナリオにぐいぐいひきこまれ、次が気になる展開の構成に「監督、天才やわ」とうなり声をあげた。
続編R2のラストには、身震いを覚えたくらいだ。
キャラデザが尊敬するCLAMPということを差し引いても、作品としてこのアニメは凄いと思っている。
カミナの「俺を誰だと思ってやがる」「お前を信じる俺を信じろ」という言葉がガツンと心に響いている。
なかなか自分に自信を持てなかったり、何かを言っても「それはるみちゃんだからできるんだよ」と言う友達に、『お前を信じる私を信じろ』と言いたい、という野望を密かに抱いている。
ムーミンが好きで限定生産されたDVDBOX上下巻はもちろん持っている。
ムーミンのキャラクターの中では、男性はスナフキンが好きでここから声優の子安武人のヴォイスにハマる。
女性キャラはトゥーティッキーが好き。
かもめ食堂
めがね
*ムーミン好きから、フィンランド初めとする北欧の雰囲気が好きになり、かもめ食堂を知る。
その後、小林聡美ともたいまさこの出す雰囲気にハマり、同じキャストのめがねにも当然ハマる。今、見たい映画は『プール』である。
小学校低学年の頃、好きな男の目の前でおならをしてしまい『スカンク姉ちゃん』と呼ばれることになる。
中学1年の時、教室の中でいきなり鼻血を出してしまい、以来『ブーじん』と呼ばれるようになる。
周囲はからかい半分だったが、本人は特に気にしておらず、鼻血を出すとイケメンに変身する『ブージン』というマンガを描いていたくらいだ。
大人になって考えてみると、あれは半分イジメだったんじゃないか・・・?と思い始めたが過去の事である。
中学2年になると、女の子だから『ブー子』にしようよ、という一人のクラスメートの発言により、新規のクラスメートから『ブー子』と呼ばれるようになる。
プログラマ時代に1か月の休みをもらったとき、海外旅行に行っておいたほうがいいよという友人の勧めにより、ヨーロッパ旅行にでかけることを決める。
ただ、休みの合う友達がいなかったので、一人でツアーに参加することに。
初めての海外ということで初めは緊張していたが、段々と雰囲気に慣れ、最後のパリの自由行動では気分はパリジェンヌになっていた。
慣れたことで、調子にのって凱旋門の上で派手にこける。大人になって、派手にこけたことがなかったので相当恥ずかしい思いをし、早々に階段を駆け降りた。